俺たちに明日はない

HTMLをとろとろといじくって自分のサイトとやらをつくり、日記を徒然と書いていたなあ、と数年前に思いを馳せつつ、今私はこうやって唐突にブログをつくり、キーボードを叩いている。

 

心に渦巻くこの怒りと憎悪と悲しみと淋しさと狼狽を、如何にすれば整頓できるのか。ある出来事に対するこの思いは、きっとこの拙い文章を書き終えても消えることはないのだろう、文脈や文法なんてめちゃくちゃの、ただのやりきれない気持ちの吐露で終わってしまうのだろう、と自覚しつつも、やはり私はキーボードを叩くことしかできない。

 

半生を過ごした思い出の場所が、今週末の日曜日に、奪われる。とても、とても理不尽な理由が重なって。なくなる、のではない。私にとっては「奪われる」と言った方が正しいのだ。

 

―――事の発端は、先週の16日の土曜日の午前に遡る。

 

朝ドラのまとめ放送を観終え、残った朝業務や家事を片付け、スマートフォンを手に取り、Twitterを開く。いつもどおりの、土曜の朝のルーティン。の、はずだった。

 

"この度、プレイランドキング七条店は閉店いたします。"

 

とあるフォロワーさんがRTした画像の文章が目に入る。目に入った、そう、いたって何気なく、いつもどおり、タイムラインを流し見する私の目に、自然に入ってきた。

 

―――入ってきた、だけだ。

 

頭の中が真っ白になって、身体じゅうの血管を巡り、異様に熱が奔った。それを理解するのに、たっぷり10秒、いや、たぶんそれ以上はかかっていた、のだろうか。

 

閉店、このたった2文字である。私の理性を奪うには十分すぎる文字列だった。

 

信じられない。信じたくない。信じられるものか。急すぎる。京都のとあるゲーセンが掲げた「営業再開します」ならまだしも、「閉店」だと? こんな馬鹿な話があるか。何の前触れもなしに死刑宣告を受けたにも等しい告知であった。

 

呆然としながら、震える指で思いの丈を数個ツイートする。それが、精一杯だった。スマートフォンのサイドの電源ボタンを押すと、画面が真っ暗になった。私はPCの傍にスマートフォンを置いた。

 

―――そこで、はじめて頬に涙が流れていることに気が付いた。

 

ここで話が明後日の方へ行って申し訳ないが、もしこの記事を誰かが読んでくれているとしたら、ここで、断りを入れさせていただく。

 

思い出の場所、とは、つまるところ、プレイランドキング七条店(以下"七キン"と略す)というゲームセンターである。ゲームセンターという場所にマイナスな印象や侮蔑的な偏見を持つ方は、この先の文章を読まずにこのブログを閉じることを強くつよくお奨めする。そして、この文中、件の場所との出会いに触れる折、筆者の社会不適合者たる薄ら暗い過去の話も出さざるをえないので、そういう話は気持ち悪いからどうでもいいと思われる方もここを閉じることを推奨する。

 

話を戻す。

 

筆者は三十路も半ばの、いわゆる「いいトシこいた壮年」であるが、この報せを見たあと、情けないことにずっと泣いていた。そして翌日の日曜日も一日じゅう、だ。約二日泣きどおしだった目はギンギンに腫れ上がって、人前に出ることが憚られるくらいにズタボロな顔になっていたに違いない。前につとめていた会社のデスマーチで精神がズタズタになって辞めようと決意したときですら、これほどまで泣かなかったように記憶している。

 

何が言いたいかというと、私にとってそれくらいショックな出来事だったのだ。

 

もしこれを読んでくれているひとがまだ居るなら、ここで「行きつけのゲーセンが閉店することがそれほど衝撃的な出来事か?」と思われるだろう。なので、今きっぱりと言わせてもらうと

 

『この場所が終わると同時に自分も命を絶とうか』という考えが一瞬頭をよぎるくらいにショックだった」

 

のだ。大袈裟すぎだろうと鼻で嗤われるかもしれないが本当のことだ。私というちっぽけな人間の感情の大部分を占めてしまうほど、この場所の存在感は大きかった。

 

では何故、これほどまでに私がこの七キンという場所にこだわるのか。冒頭でお話しした、筆者の過去に触れる。

 

正直なところ、過去はこの場所との出会いを語る上での大前提、というだけであり、語る上で不快感もあるので端折らせていただくが、私はいわゆる典型的ないじめられっこで、小学校の頃は学校でも通っていた塾でも、表沙汰になったら普通に犯罪なのでは?というレベルの暴行や罵詈雑言を受けていた。今だったらまだしも、そのことに立ち向かう頭脳も度胸も術も持ち合わせていなかった私は、もちろんそんな出来事を家の者に伝えられるはずもなく、その日常も相まって勉学に励む気力も起こらず成績は悪くなるいっぽうで、そのこともまた家の者の怒りを買うことになり、家に帰っても安堵する場所も時間もないという負のスパイラルに陥った。今はTwitterFacebookがあるから、言い方は悪いが「ネットを介したディスプレイの向こう側に自分を理解してくれる誰かが居て、そんなひとたちとコミュニケーションを取ることで生活から一時的に逃避する術がある」ので、今そういう憂き目に遭っている学生たちはまだ救われているように思う。が、私の年齢の学生時代だ。そんなSNSはもちろん、パソコンのインターネットすら普及していなかった(たぶんそれらが世に広まるのは私の高校生活が終わりに差し掛かる頃だ)。中学に上がる頃には人間不信すっかりここに極まれり、典型的な落ちこぼれのできあがり、というわけである。中学に入ってからも、友人のつくりかたも、ましてや友人という概念すらよく理解できなかった私は、授業中は内容が理解できず寝るだけ、休み時間は保健室や図書室に入り浸り、という絵に描いたような底辺ぼっち生活を送ることになる。

 

部活にも入っていなかった私は、図書室で小説や漫画を自作するという引きこもりヲタク生活を漫然と過ごしていた。だがその部屋で一日が完結するわけがない。これから家に帰らなければならないのだ。憂鬱で仕方がなかった。帰路を歩む私の足取りは鉛より重い。

 

電車に乗って、家の近くの駅で降りる。 帰りたくない。帰ったらどんな怒号が飛んでくるか、何を投げつけられるか分からない。逃げたかった。直情的に、私の足は家とは逆方向に向けられた。心と身体を落ち着けられる場所を求めて、どこへとも分からぬ方へと私は歩いた。

 

ふと、自分の歩いている左方向の自動ドアが開いた。ジャンジャンバリバリという演出音。人々の悲喜交々の喧騒。並んだ台から溢れ出るネオンライト。

 

―――パチンコ屋だ。自動ドアに、18歳未満入店禁止、の文字が見える。

 

私は紛れもなく中学生で、そこに出入りしてはならないことくらいは分かった。さすがにそこまでバカではない。ここに用はないのでそのまま通り過ぎよう、とした、その先に。

 

ゲーム」と書かれた看板と、2階へ上がる階段が目に入った。

 

また話が逸れるが、私の家は昔からテレビゲーム一家だった。詳細は端折るが、普段はギスギスした家の者との折り合いも、ゲームを介せばいくらか滑らかになったように記憶している。

 

ゲームかあ。ゲーム好きだし、ちょっと覗いてみるだけ覗いてみるか。何か面白いものがあるといいな。ぼんやりとそう思いつつ、20段ほどの階段を上ると、そこには。

 

爆音を鳴らし、ギラギラとした光を放つゲーム筐体が所狭しと並ぶ、異様な空間が広がっていたのだ。

 

なんだここは。

なんだこの光は。

なんだこの喧騒は。

 

下のパチンコ屋の比ではない。普段そんな爆音を耳にしていない私は、その音の大きさに面食らい、その場にしばらく立ち尽くしていた。どれだけそうしていたのか分からないが、私はようやく足を動かし、店内を見てまわることにした。

 

これはなにをするゲームだろう。とある温泉街のホテルのゲームコーナーで遊んだ機械に似てる。ここにお金を入れるのか。おお、このレバーでキャラを動かすんだな。あれはなんだ、本当に生きてる生き物が入ってる。この爪で生き物が入ってる容器を引っぱり上げるのか。こっちはなんだろう、ルーレットが付いてる。このボタンで止めるのかな。向こうのほうからわあわあと人が盛り上がっている声が聞こえる。おや、あっちのあの人だかりはなんだろう。ていうかタバコくさいお店だなあ。制服ににおい付かないかな。いろんな情報が視覚を、聴覚を、嗅覚を刺激した。胸が高鳴った。

 

財布から取り出した100円玉をさまざまな筐体に投入し、夢中になって遊んでしまった。誰に何を言われるまでもないまま、時を忘れて遊んだ。誰からも自分がやっていることを罵倒されず、人の目を気にせず己の時間を謳歌するというのはこういうことなのかと、残り少なくなった財布の中身を見つめながら感じた。それと同時に、「自分が何も気にせず、ただ存在していてもいいという場所は、たぶんここなのかもしれない」と漫然と思った。こんな場所があるだなんて。いろんなところから毀れ落ちて置いてけぼりになってしまった見識の狭い私にとっては、本当に目から鱗だった。このゲーセンは何も言わず、何も語らず、ただそこにあるだけで、どうしようもない私の空虚な心を救い上げてくれた。白と黒だけだった私の世界に、突然目映い色彩が付き始めたようだった。

 

―――これが、七キンとの出会いである。

 

だが、自分の居場所を見つけたからといってひとはすぐ変われるわけもなく、流されるまま思考停止して生きてきた私は、将来の夢も未来への希望も持てず、何者になりたいという目標も何も立てられなかった。そのまま、中学、高校、大学を通して一向に学内で友人をつくれずにいた。それでもよかった。安心して息を吸って吐ける場所があれば友人なんて要らない、そんなものをつくってもすぐに掌を返して裏切るしどこか遠くへ行ってしまう。どうせ自分のことだけで精一杯なのだから、私にはこの場所さえあればいい。そう思っていた矢先、私にもうひとつの転機が訪れた。

 

大学に入って、世の中の仕組みというものを何も知らなかった私が初めてアルバイトに応募し、今は潰れてしまったあるゲームセンターで働き始めた。他人に話しかけたり、何かを自分で始めようとすら思えなかった私が、である。それはひとえに、私を受け止めてくれたこの場所でなら新しい一歩を踏み出せるかもしれない、という、今まで考えることすらしなかったひとつの希望を見出したに他ならない。アルバイトを始めた私は、おっかなびっくり、お客様という他人と触れ合う、ということを覚え始めた。面倒見の良い上司の指導もあって、私は他人に対する恐怖心と人見知りを克服し、それなりの話術というものを手に入れた。それから、ひとつの話題を共有しておしゃべりすることが、こんなにも楽しいことだなんて初めて知った。

 

また話が横道に逸れてしまったが、そんな私に、友人と呼べるひとたちができたのは、それからしばらくあとのことである。もちろん、大学内ではなく、ゲームセンターで。それも、私の大切な場所である、七キンで、である。そして、友人というものができて一番驚いたのは「同世代じゃなくても、趣味が合えば、歳がどれだけ離れていても、誰とだって友人になれる」ということだったし、そこで知り合った友人たちとは、今でも繋がりがある。色の無い学生時代を送っていたときには到底考えられないことだった。今思えば、私はたぶん、一般的な学生よりも「持ちうる学生時代の思い出が極端に少ない」学生だった。思い出があるとすれば、こんな私を受け入れてくれたゲームセンターの中の出来事であり、七キン以外のゲームセンターにもたくさん思い出はあるけれど、その大多数が七キンでの出来事なのだ。少なくとも中学生時代以降の10年間の思い出は、すべてここに集結している。

 

それからまた十数年、私は七キンという居場所で、ここで繋がった友人たちとともにかけがえのない時間を送った。気付けば、私は人生の半分以上をこの空間で過ごしていたことになる。これからもそうであるし、私は相も変わらずそこに通い続けて、気の置けない仲間と大好きなゲームやくだらない日常の話をしてばかみたいに笑い続けるのだと、信じていた。閉店、の二文字を見るまでは。

 

京都府内にはかつてさまざまなゲームセンターがあった。キング系列なら出町、蛸薬師河原町。その近くにサン・サーカスやナムコワンダータワー京都店。京都駅前にはニューファントム、京都セガジョイポリス。寺町界隈にはパピヨン、スターダスト。西院にはコットン、西院パルケ。下鴨にはヒーロータウン。向日町にはK-CAT。北白川には通称北バチと呼ばれた北白川スポーツセンター。今挙げたのは私が足を向けたことがあるゲームセンターなのだが、ここ十数年ですべて潰れてしまった。府内のゲームセンターが次々に閉店する中、七キンだけは、いつもと変わらずそこに佇んでいた。どれだけ日々の生活で遣る瀬無いことがあっても、この場所だけはただそこにあって、何も言わずに腕を広げてくれている。そしてこの場所にくれば友人の誰かしらがゲーム筐体に向かってボタンを指先で叩いてハイスコア出しに躍起になっていたり、友人同士で談笑していたり、はたまた誰かがぷかぷかとタバコをふかしながらスマートフォンをいじっていたりする。「よーっす。今日の調子どう?」「今日は格ゲーでようやくこのひとに勝てたんよ、嬉しかった~」「この曲クリアできたで」「そーいえば会社で新人歓迎会があってさあ…」「この音ゲーの新曲めちゃくちゃ良かったよ~」「うまい魚出してくれる店見つけた!」「久々にセッションするか~」なんて、いろんな話題が入り混じった他愛の無いおしゃべりをする。たったそれだけの、普段どおりのことが、私にとってどれほどの安心感を与えてくれていたのか、今こんな事態に陥るまで気付かなかった。それが腹立たしくてならない。

 

七キン閉店の原因の詳細は割愛するが、この度のコロナウイルスによるアミューズメント施設一斉営業休止が大いなる要因だったのは確かである。

 

遠くないこの先、自粛が緩和されたそのとき、テレビディスプレイの向こうで、ニュースキャスターが笑顔で「普段どおりの日常が戻ってきましたね」とかなんとか言う日がくるのだろう。でも、私にとっての未来に「普段どおりの日常」が戻ってくる日なんて、きっともう、どこにもないのだ。それがとても悔しくて、哀しくて、ならない。私が望んでいるのは「普段どおりの日常」、ただそれだけなのに。それだけ、が、こんなに唐突に、理不尽な理由で奪われてしまうなんて。

 

七キンの閉店は24日、つまり、もう明日にまで迫っている。

 

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25日の朝になれば、この場所は既に失くなっているのだ。


私は閉店の瞬間を七キンで迎えるつもりだ。けれど、私は店のシャッターが閉じられたそのあと、その場にまともに立っていられる自信がない。その翌日、私はどういった顔をしているのだろう。今胸に渦巻くこの感情を、どうやって処理しているのだろう。自分でも、まったく想像がつかない。